さっちゃんちの机(更新記録兼用徒然日記)

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zoom RSS これを書かずに俺は死ねんK母子里物語

<<   作成日時 : 2008/03/02 23:59   >>

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北海道雨竜郡幌加内町字母子里。
かつてJR深名線が営業していた頃は北母子里という駅があった。地名は「母子里(もしり)」なのだが、他所に「茂尻」の字を当てた駅があり、昔はカナ表記で処理するものも多かったため(そう言われてみりゃN型マルスの頃まで「ナカノ」と「ナガノ」に線名略称を付けて発券していたっけ)、区別のために「北」を冠したと聞いたことがある。
この地では大学演習林の観測で−44.8℃という気温を観測したことがあり、非公式記録では国内最低記録なんだそうだ。イワク因縁をアレコレ調べてみたところ、何でもデジタル温度計がそう表示したということなんだそうで、同時に観測した水銀柱の温度計は−41.2℃だったため、気象庁の公式な記録として−41.2℃が最低記録、参考記録として「ひょっとすると−44.8℃だったかも」てな書き方がされているのをよく見かける。
とにかくそういう厳寒の地。

深名線は廃止されたが、この母子里で国道275号線「空知国道」と道道688号「名寄遠別線」が交差していて、十数キロ四方おそらくここだけだろうという信号機付きの交差点がある。
道央西寄りから北上しようと考えた場合、40号へ出ずにこの地を通って美深へ抜けるというのはポピュラーなコースなんじゃなかろうか。まあ他所モンの考えることなんだが。

その国道&道道の交差点の北東角に、2階建ての建物がある。かつては公民館だったとかいう話も聞いたが、2004年のゴールデンウィークまで、そこは「母子里一刻館」という宿であった。男女別相部屋スタイルの「とほ宿」で、内地から移住した若いご夫婦が経営していた。
深名線の撮影のために周辺をウロウロしたことがあったが、その頃見た「日本で一番寒いところにある宿」とかいう看板が気になって、深名線廃止後の1996年夏、北海道行きの際に行程に組み込み一泊してみた。
客室名が「めぞん一刻」の登場人物名になっていた(……まだ全編きちんと読んだことがないもんで、これは人から聞いた話)。ご主人が犬ぞり競技をやっているとかで、エスキモー犬が2頭、他に母子里の牧草地で拾われたという猫が2匹。
食前酒に色々な種類の果実酒(梅酒など)が選べたが、「マムシ」は10泊以上した方のみということになっていた。また、一応消灯がないことになっていた。お風呂はほぼ一人用。元々あった浴室にユニットバスを入れた形にしてあって、「このお風呂は宿主が交通事故の補償金で作りました。みなさんも交通事故には気を付けましょう」とかいう張り紙。建物2階には大広間のようなスペースがあったが、物置状態で、その奥にも客室が2部屋(通年営業をやめた頃から2階の客室は使われなくなり、階段に「立入禁止」の掲示ができた)。
額に入れられて掲示してある書類の中で、施設名が「しゅまりの宿」(だったかな)になっているものがあった。公的な書類の上では、朱鞠内にあった宿が移転したという形をとっていたらしい。

ざっと思い出してみる。
その次に泊ったのは96年大晦日から97年正月にかけての2泊3日。「年越しは2泊で受付しておりますので、2泊していただけますか?」という話だった。当然そうした。
これで顔を覚えられたらしく、その次の97年夏には予約の電話口で型通りの予約金などの説明をしていたんだが、名前と住所を話したら「ああ! それじゃ予約金は要らないから、前の日の夜か当日朝に、一応確認の電話をして、その時に到着予定の時間教えてくれればいいよ!」
97年から98年にかけての年越しも母子里。
そして98年5月、やっとできた彼女を連れて行こうと思ったら、その彼女が入院手術という事態が発生、旅そのものがキャンセルに。仕切り直しというわけで、98年夏彼女を連れて宿泊。
一応彼女も気に入ってくれた?ので、次の年越し(98〜99年)も彼女を連れて渡道。クロスカントリースキーなどして遊んだ遊んだw
その次の99年夏も彼女と一泊。
母子里で年越しが半ば定番となった99年の大晦日に、また彼女と2人でクロスカントリースキーを借りて出たところ、転んだ拍子に俺が古傷の肩脱臼を起こし、彼女は近くの民家へ走って(駅跡から線路跡へ入ろうとしたところだったんで、旧駅前の家が集まってる辺りだった。もっと奥だったらどうなってたろう)連絡を取ってもらい、そこの方が宿のご主人を呼び、ご主人が救急車を呼んでくれて、名寄まで搬送してもらった。どうやら幌加内広域消防1900年代最後の救急車出動をさせたのは俺だったらしい。バスで宿へ向かう常連が、「え、あのすれ違った救急車に乗ってたの!?」腕を吊って帰京。レンタカーは母子里へピックアップ(勿論有料)手配となった。お騒がせしてごめんなさい。

その「彼女」が2000年春に「女房」になって、すぐオメデタ(のぞみ)となったもんだから、しばらく北海道も行けず。2000年から01年の年越しには電話をかけてみたら、電話に出た常連の一人が「オイ、暮正月はクロスカントリースキー禁止になったぞ!」お騒がせしてごめんなさい。
01年にのぞみが誕生。一刻館は基本的に子供と言うか家族客はお断りなので、お昼の時間帯に会えるかなと思い、8月にレンタカー付けたパッケージを手配して渡道。一刻館にも前年だったかに男児誕生、双方の子供のお披露目の様相。
同様に泊らずとも会いに行こうということで、02年にひかりが生まれて後、03年5月に一家4人で渡道した。先に一刻館宛で荷物だけ送っておいたのだが、いざ道内で連絡を取ろうとしたら電話が通じず、ご主人の携帯電話にかけたら、「今横浜なんだよ……母が亡くなって……」荷物は一刻館向かいのガソリンスタンド兼雑貨店に預かってもらってるとのこと。荷物回収、一刻館宛のお土産はそのお店の方へのお礼に変身。
そうこうしているうち、04年春先に「閉館のお知らせ」というハガキが届いた。04年5月を目途に廃業するという。それじゃあと身重(こだま)の女房も説得し、また一家4人(5人?)で渡道を手配したんだが、出発前日オフクロの入院する病院から「昨夜から血圧と血糖値が危険な水準まで下がっています」。あわてて全てをキャンセルし病院へ駆け付けたら、何のことはないベッドでメシ食ってやがった。つまりキャンセルしてどうこう……というレベルのことは起きてなかったのである。主治医ではなく当直医だったため、ということらしい。かくして、「オフクロの最期」は起きず、「一刻館の最期」は看取れなかった。

経営者一家は名寄に引っ越したので、04年7月に一人で北海道の旅をした際に訪問し、05年5月には一家5人で泊めてもらった。調子に乗って06年夏にもまた泊めてもらっている。子供達曰く「北海道のおとーさんのお友達の猫ちゃんのいるうち」だそうだ。
そう、母子里の牧草地で拾われた2匹は、名寄でも元気に暮らしている。犬たちの方は、一頭が名寄で老衰のため生涯を終えたとのこと。

名前だけで電話が通じるようになっていただけに、廃業したのは大変に残念だった。
聞けば、2人のお子さんの通学の便などを考え、名寄市民になることにしたとのこと。一刻館の裏は旧母子里小中学校が建物もそのまま残っているのであるが、一刻館の子供達のためにそれを再開するわけもなく、かの地に留まる場合、子供達はバスで1時間程かけて幌加内町中心部へ通学するしかないということだった。……救急車は名寄へ行ってくれたのにね。
既にお子さんができた頃から、ご主人が勤めに出ていて、宿自体は土日や長休みのシーズンのみ営業となっていたように思う。

一刻館のご主人は、一部で「鉄ちゃん(鉄道ファン)を嫌っている」という話であった。
一度泊ったときにこんな話を聞かせてもらったことがある。
深名線のさよなら列車(正確にはお名残乗車を呼び込むため8月に走った臨時列車で、最終営業日のことではないらしい)が北母子里駅付近であわや脱線という事故を起こしたと言う。ダルマ転轍機が操作されていて、あわてて停まったので難を逃れたとか何とか。
で、ご主人が考えるに、線路横の白黒のモノがレバーのように動かせて、しかも線路のポイントを切り替えるためにあるということが分かってる人間なんて、この辺の農家や酪農家にいるわけがないと。そうなると他所から来た奴がイタズラしたとしか思えんと。
そこまで話してご主人は口をつぐんだ。
しかし、その先は想像できる。
一刻館にも捜査があったのではなかろうか。
例えば「前日から当日にかけてアヤシゲな宿泊客がいなかったか?」と警察が聞きに来てもおかしくはあるまい。いや、警察だったらまずそういう捜査をして当り前であろう。
このご主人が、鉄道ファンに対して感じているものを、共感はしないが理解できた。 ような気がした。

ちなみに道道688号の全通はいつになることやら、一応蕗の台辺りから深名線の跡に沿うような形で朱鞠内へ抜ける道ともつながっているため、そちらへ抜けることは可能であるが、確か蕗の台から遠別方向へは、その辺りを最後に走った10年くらい前に「18キロ先行き止まり」とかいう強烈な標識を見た記憶がある(数字は違ったかもしれない)。
一刻館のご主人によれば、「春から秋までしか工事できないでしょ、それで、春に工事を再開すると、最初のうちは冬に壊れた箇所の補修しなきゃならないっていう状態なんだって。3歩進んで2歩下がるというやつで、それを繰り返して遠別には何十年かかって辿り着くのやら」。
冒頭に「一刻館がかつて公民館だったらしい」と書いたのは、営業当時一刻館で「母子里公民館」(だったかな?)と名の入った湯呑が使われていて、奥方に「これはつまり、この建物が昔そうだったということ?」と聞いたところ「そうよ」という返事だった記憶があるので……。
そうそう、十勝三股の三股山荘の奥さんは、いつだったか「母子里一刻館」と聞いて「ああ、○○さんの……」とか、また別の時には「お子さんが生まれたんですってね」と宿の経営者夫妻のことをすぐ思い出していた。どうやら面識があるらしい。

一刻館のご家族とお付き合いできて、一つ学んだことがある。
今の教育っていうのは「できることを増やす」ということばかりで「やりたいことを見出す」「目的を見つける」というのには何の役にも立ってないから、終いにゃ「できることが山ほどあるのにやりたいことが1つもない人生を送ることになるぞ、俺みたいに」……というのが俺の持論なんだが、ここのご主人を見て、男の人生にゃもう一つ、
やらねばならんこと
という要素があると思うようになった。
でもそれすらうまくいってないヘタレ人生送ってるわけだけどな、俺は。

画像


2011.11.20追記
複数のサイトで、旧母子里一刻館の建物が、2009〜2010年冬の積雪が原因で崩壊したとの記事を見た。……既に2年近く経つことになる。
いずれそういう日が来るとは思っていたけど……。


鉄道データファイルDVDコレクション(11) DD14特雪出動!深名線最後の冬
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