さっちゃんちの机(更新記録兼用徒然日記)

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<<   作成日時 : 2014/09/26 12:28   >>

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近頃時々起きるんだが、昔の写真−−渋谷駅や横浜駅が地上にあった頃の東急東横線の写真とか、大学時分の教会行事の写真とかを見ると、

「……みんな、俺のことをおいてどこ行っちゃったんだろう?」

という感覚に襲われることがある。現実にはもう撤去されたり亡くなったりしてるんだけど、「存在しなくなった」というのではなく「どっか行っちゃった」という捉え方をしてしまう、時間のズレではなく位置的・物理的ズレを感じる感覚。

オフクロの病院で聞いたんだったか本で読んだんだったか、それこそ思い出せないんであるが、人間の記憶は積み重ねられた上の方から剥がれるように失われるので、認知症になったお年寄りが、ここ1年のことを思い出せないのに、自分の子供が小さかった頃の出来事を詳しく思い出せるというのはよくあることなんだそうである。オフクロの場合、もう子供(=オフクロの孫)がいた俺のことを俺だと認識できず、若い病院スタッフに向かって「お前、今日は学校ないのかい?」と声をかけたことがあった。そのスタッフを大学生だった頃の俺だと認識している(=記憶が「俺が大学生だった頃」の時制まで剥がれてしまった)というわけだ。
ちょっと怖いのは、冒頭の「どこ行っちゃったんだろう?」っていうこの感覚、ひょっとすると「記憶の剥がれ」の初期症状じゃなかろうかという気がするんである。これがもう少し進むと、例えば東横線の渋谷駅や横浜駅で地上駅だった頃の乗換ルートを辿ろうとしたりして、そして「あー俺もボケた」などと言い始めて……ということになりはしないだろうか。

そしてまた、当の本人はきっと、ボケても幸せなんだろうなあとも思うことがある。映画「タイタニック」のラストシーン、おばあちゃんになった主人公のPOVで、乗船時の様子に戻って船内を走って行き、みんなが祝福する中でジャックの待つ階段の踊り場へと駆け込んで行く、ある意味ボケってのはあれが現実と区別付かなくなった状態かもしれないと、ふと思うんである。オフクロがドイツ語でアベマリアを歌ったという驚愕の話を入院先の医師から聞いたんだけど、きっとオフクロの頭の中は、俺が大学生だった頃も通り過ぎて、受洗して教会へ通ってた頃(第2バチカン公会議前だから背面ミサの時代)まで剥がれているんだろうか。いや、そのアベマリアを歌ったという話を聞いたのも10年くらい前だから、オフクロの頭の中は、戦前に養子に出される前の、実の両親と一緒に暮らしていた幼年時代まで戻ってるのかもしれないな。

もう一つ困ったことに、ちょっと前から俺自身が「俺に女房がいる」「俺に子供がいる」という事への違和感を感じ始めて、慣れる(薄まっていく)ならまだしも、それが齢を重ねるごとに段々大きくなってきている気がするのである。まさか、結婚したという記憶が剥がれて(!)女房子供に「どなたでしたっけ?」と言い出す、その前兆なのではあるまいか? 書いていても非常に怖いんだけれども……。

10年20年経って、ひょっとして俺も認知症にやられてたりしたら、このエントリを見てみんな何と言うだろう?
そんなことも考えちまう。



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