これを書かずに俺は死ねん 60 国鉄解体2日前に起きたこと

前エントリを書いてて思い出したこと。
その、国鉄最後の夜を「はやぶさ」で過ごす旅のスタートに選んだ1987年3月29日発の下り大垣夜行・345Mはとんでもない大混雑で、発車1時間半だか2時間だか前に東京駅で並んでいたのに座れなかった。通路も満員で、ボックスシートの車内通路はギューギュー詰め。途中終電車として使ってた方々だろうか、熱海や沼津で降りてった方々がいたんで、通路に体育座りのようなこともしてみたが、結局ほとんど立ったまま一晩過ごした。
夜が明けて、確か名古屋を過ぎた先の出来事だったと思う、列車の遅れとか接続について、

2つの声が同時にスピーカーから流れてきてた。

お互い、相手の放送についてはまったく気付いていない様子で延々喋り続けていた。当時の165系の編成のシステムを考えるに、どうも最後尾の運転台にいる乗務員と、グリーン車の乗務員室にいる乗務員(ということはレチとカレチか?)が同時に放送をかけた結果だったらしい。

思えばこのマヌケ共の血筋牽いてるJR-Cなわけでw