さっちゃんちの机(更新記録兼用徒然日記)

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zoom RSS これを書かずに俺は死ねん 38 江藤俊哉先生の孫弟子だった頃

<<   作成日時 : 2008/03/14 00:02   >>

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バイオリン歴が4歳の時に始まって、小学校時代には銀座の山野楽器にかよっていたという話を書いたが、その後、どうも基礎がしっかりしてないのに曲目だけ先へ先へと進んだ結果として、テクニックはともかく読譜力などに問題が露見してしまった。そこで、親の勧めの通り、思い切って師事する先生を変えることにした。先の先生には中学受験云々という理由を話して辞め、父の以前からの知人の紹介で、江藤俊哉の弟子だという女性バイオリニストのところへ入門打診と相成った。
当初はその方のお弟子さんでも紹介していただければ……ということで伺ったのであるが、何がどう進んだのやら、帰る時には「それじゃあ、週1回いらっしゃい」ということに。
突如「江藤俊哉の孫弟子」という肩書きが付いちまったわけだ。
驚いた親父が帰り道に寄った店でクリームソーダを飲んでいた記憶がある。オヤジが酒以外にも好きな飲み物があるということをこの日に知った。

丁度時を同じくして、人から借りていた楽器を返さなければならなくなり(同じ団地に「受験で1年以上使えなくなるから」と貸して下さった方がおり、タイミングよく俺の楽器のサイズが4/4に繰り上がった時にその方から借りて使ってたのだが、先方がめでたく合格、返してくれという話になったもので)、楽器の購入のためその先生にご紹介いただいた先が、
鰐淵賢舟氏であった
ご記憶の方がいらっしゃるかもしれない、ガダニーニという名前がマスコミに出ていた頃の話であるが、鰐淵先生のところにはホンモノのガダニーニが一丁あるとのことであった。温度・湿度の管理が厳しい保管庫に入れてあると言って、写真だけ見せてもらった。
そこで譲ってもらった楽器が弓付けて60万円。

その先生、「いつか先生(ということは江藤俊哉ということになるわけだが)のところにも連れて行った方がいいわね」などとオソロシイことまで言ってたけれど、奏者としてはともかく教え方が今一つで「お手本に弾いて見せる」ということをまるでしない先生だったこと、本当に「音楽バカ」と言うか、例えば「弥生時代って何?」という義務教育終えてないんでしょうかと突っ込みたくなるような質問を逆にされたりしたこと……などなどが重なり、「高校受験で忙しくなるので」と一旦辞めてまず近場にお住まいの先生につき、そこで半年ほどして今度は本当に高校受験のため辞めた。
高校に入ってからは、これも以前書いたN響OBの方のところへ弟子入りした次第。
ちなみに楽器の方はN響OBの方についた時代に、弓がニセモノ(銘はDODDだったんだけど)だと看破され、その話を鰐淵先生のとこへ行って話したら、追い銭40万で別の弓(SILVESTRI)に替えてくれた。それでもって北海道旅行なんかがフイになったというのも前述の通り。
そんなわけで、投下した金額としては金利考えなければ弓合わせて丁度100万のバイオリンがうちにはある。
江藤俊哉の孫弟子だった時に鰐淵賢舟から楽器を譲ってもらった
という過去の栄光を知ってるのは、その一丁のバイオリンだけになっちまったわけで……。

ちなみにその女性バイオリニストのダンナがツトム・ヤマシタであった。
その後別れたそうですけどね。


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