これを書かずに俺は死ねん 89 ある宿屋のこと

オヤジが丁度俺の中学生の時期に相当する3年間、山梨県山梨市(当時)へ単身赴任していた。一応職制だったもんだから、寮といったものではなく、世帯向けの社宅が一棟あてがわれていて、長い休みには、オヤジが東京に帰るのではなく、何日かオフクロと俺が山梨で過ごすということがあった。
これは後述する出来事との整合から、間違いなく昭和56(1981)年夏のことである。

夏休みに入り、山梨の社宅で宿題と格闘したりして過ごしていたある日、オヤジが「取引先の人が手配してくれた」と、諏訪湖の花火大会の桟敷席入場券を3枚持って来た。諏訪で夜行われる行事だから、山梨まででも帰って来るのは大変だろうというわけで、当日は現地で一泊だろうという算段で出掛けた。ところが、確かお昼頃に現地の案内所で数人の列に加わったら、前の人にもう今日はどこも満室ですよと案内している状態で、読みが甘かったか!と一家で途方に暮れていた。
その後のいきさつがよく思い出せない。明るいうちに諏訪大社上社の観光に向かったのだろうか、とにかく一旦山梨寄りの茅野駅まで移動したのである。茅野駅の、どちらかと言うと裏口然とした駅西側を歩いていたら、ちょっと古ぼけた宿屋があった。すかさずオヤジが玄関を開けて「ごめんくださーい」。出て来た女将さんに空室の有無を聞いたところ「ええ、空いてますよ」とのこと。ありがたい! というわけで、確か荷物だけお願いして、この時は部屋へ入らずそのまままた出発したように記憶する。
その後上諏訪駅まで移動したんだけど、確かこの時に一駅乗ったのが、飯田線の間合い運用と思われる80系だった。当時既に旧型国電は東京辺りでは珍しく、また身延線も115系への置換の最中で(この時点で80系は身延線にはいなかったが)、俺とオヤジは「これがまだ走ってんの!?」とキャーキャー、オフクロが「そんなに珍しいの?」。
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諏訪湖のほとりの桟敷席で見上げるようにして花火大会を見物。また中央線を一駅乗って、茅野駅へ戻って来た。宿では夕飯が出ないことになっていたため、とりあえず並びの料理屋で遅い夕飯にありついた。宿へ入ってみたら、布団も今で言うセルフの和室で、浴場は家庭用の風呂場の大きさだった。メリヤスの垢すりが「見本」として置いてあって、良かったらこの宿でも購入できますという説明書きがあったんだが、こんな物をここで使ってみて気に入って買う人がいるのかなあと思ったのを覚えている。あと、部屋には当時でもすでに相当古かった、1970年頃の少年サンデーだか少年マガジンだかが1冊置いてあった。オヤジが「木賃宿」と言っていたが、商売のために旅をする人たちが使う「商人宿」といったものだったのだろう。今にして思うと、後にいくつか見た「男はつらいよ」シリーズで、寅さんが泊っている宿屋のイメージと重なっている。
翌朝食堂で朝食をいただいていたら、オヤジが「このお味噌汁おいしいけど、お味噌はどこのなんだろう?」女将さん「自家製なんですよ」「えー! もしよかったら、少し分けていただけませんか?」食い物で商売していたオヤジがそこまで言う味噌だったが、女将さんは「若い人にはあまり評判良くないんですけどねえ」と笑いながら、ビニール袋を二重にして持って帰れるようにこさえてくれたっけ。
この食事の時、「アラ」という商品名の海苔の佃煮を見た。ローカルだと思ってたけど、関西を中心に出回ってるメーカー物だと後で知った。

味噌のお礼を言って出発して、この日は確か下諏訪駅へ向かい、諏訪大社の下社から万治石仏などを見物、弘済出版(当時)の名著『あずさの旅』で読んで気になっていた「初霜」というお菓子も調達できた。夕方だか夜だか、とにかく一家で山梨へ戻り、翌日からは俺もまた受験勉強に戻った。

実はこの旅に出発する数日前、忘れもしない8月14日夜のNHKニュースで、カール・ベームの訃報を聞いたのである。ベームの誕生日は8月28日だから、ウィーンフィル気付でバースデーカードを贈るんだとかバカなことを考えて(カードを既に買って)いたもんだから、もう泣きそうなくらいだった。俺自身はよく覚えてないんだが、後にオフクロが「あん時ゃ心配したわ」と言っていたほど。それで、東京の自宅で取っていたのは毎日新聞だったのだけれども、この旅の途中、茅野で夕飯を食った店に朝日新聞が置いてあり、訃報記事が社会面にでっかくあったもんだから、
……こっそり切り取って持って来ちゃったんです。はい。だから間違いなく1981年の8月と思い出せるわけ。ごめんなさい。


次に茅野駅を通ったのは昭和58(1983)年、飯田線を夜行日帰りで乗ってやろうという旅の時。
その次が大学に入った昭和60(1985)年の夏、高校の合宿にOBとして参加した時で、現役の連中とは別行動で長野まで青春18きっぷを使ってまた夜行で向かった時のこと。どちらの旅でも、茅野駅の西側にあの宿を見たように思う。
その後、昭和61(1986)年に茅野駅が橋上駅舎となり、西口には広場やバスターミナルが整備されて随分と様変わりしている。自家製味噌が美味しかった件の宿はどの辺にあったのか、新聞切って持って来ちゃった料理屋もどこにあったのか、最早分からなくなった。

カール・ベームの120回目の誕生日に合わせてアップ……のはずが日付変わって間に合わなかったけど。
ベームと夏の思い出。

<2016.4.11追記>
オヤジもやっぱり俺と同じところに目を付けてたらしい。いや、俺がオヤジと同じところに目を付けてるのか。
こういう宿は外観を撮っておこうと思ったらしく、アルバムにこんな写真が残っていた。
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この写真のおかげで、宿の名前は「幸楽荘」だったと判明。
1枚目中央(2枚目奥)に写っているヤジマというスポーツ用品店が2016年4月現在、盛業中である(4月4日に茅野駅を通った際に確認した)。ということはその2軒手前にあったはず。

上のストリートビューを操作して、左側を見ていただければ。

茅野駅の西側の、そんな想い出。



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