めでたくまた無職

事務所のセンセイが変人だというのは分かってたが、以前も出会った固定資産入換えの処理を以前と同様にやったら、償却費は期末だろうがとかワケの分からん指摘から始まって、こちらの仕事のスピードが上がらないからクビと言ってきた。
……この半年、先生の運転手を仰せつかって毎月数日は外回りで潰れてる部分ができたんですが、その分仕事が増えたとは思わんのですね。
というわけでこっちも逆襲しておいたら、今度は、そんだけのエネルギーがあるならもっといいところで働けると思うよと、いいのか悪いのか分からん意思表示をよこして来たんで、一応手打ちとなりました。つまり退職。またハロワかよ。








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オフクロ帰天

9/27(土)に、ちょっと思いついて、昔住んでたところから昔かよってた学校までのルートがどう変わっちまったかを調べてみた。団地は建替えられて、東急の渋谷駅はご存じの通り。高校のある街まで行ってみたついでに、小学校や中学校の辺りがどうなったかも見に行ってみたところ、小学校合格発表時(と言うかクジが当りだった後)オフクロが泣きそうになって家に電話してた公衆電話が撤去されてたのを見て「あーあ」。今じゃ親御さんたち、一斉に携帯電話をかけるんでしょうな。
……そんなプチセンチメンタル・ジャーニーから帰って来たら、まるで待ってたかのように電話が鳴って、オフクロの入院先から。
「突然意識がなくなり、現在血圧が取れなくなってまして、危篤です。なお、これから東京を出発していただいても、『間に合わない』という可能性があります。」
車で飛び出してったら環八が渋滞中。そのうち携帯が鳴り、出られなかったんで東名上がって港北PA停めて見てみたら女房から「もう蘇生ができなくなりましたので処置を始めていいですかという問い合わせで、仕方ないのでOKしました」という女房からのLINE投稿。車停めたまま親類や知り合いの葬儀屋に電話。病院着いて、霊安室でご対面。葬儀屋さんが追って到着し、一度自宅搬送にしてもらって、家では玄関に近いからと子供部屋に寝かせてあげた。入院生活16年。一晩くらい自宅で過ごさせてやろうというわけで。子供達からはブーイング。
翌9/28に教会で納棺してもらい、安置しておいてもらって、30日通夜・10/1ミサ。小さくなって我が家に帰ってきました。

11月の死者の日に納骨してもらおうということで、居間に置いてあげてる。
まさかこんなこと書いた次のエントリがオフクロの死んだ話になろうとはね。

俺、オヤジもオフクロも死に目に会えなかった。



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記憶

近頃時々起きるんだが、昔の写真--渋谷駅や横浜駅が地上にあった頃の東急東横線の写真とか、大学時分の教会行事の写真とかを見ると、

「……みんな、俺のことをおいてどこ行っちゃったんだろう?」

という感覚に襲われることがある。現実にはもう撤去されたり亡くなったりしてるんだけど、「存在しなくなった」というのではなく「どっか行っちゃった」という捉え方をしてしまう、時間のズレではなく位置的・物理的ズレを感じる感覚。

オフクロの病院で聞いたんだったか本で読んだんだったか、それこそ思い出せないんであるが、人間の記憶は積み重ねられた上の方から剥がれるように失われるので、認知症になったお年寄りが、ここ1年のことを思い出せないのに、自分の子供が小さかった頃の出来事を詳しく思い出せるというのはよくあることなんだそうである。オフクロの場合、もう子供(=オフクロの孫)がいた俺のことを俺だと認識できず、若い病院スタッフに向かって「お前、今日は学校ないのかい?」と声をかけたことがあった。そのスタッフを大学生だった頃の俺だと認識している(=記憶が「俺が大学生だった頃」の時制まで剥がれてしまった)というわけだ。
ちょっと怖いのは、冒頭の「どこ行っちゃったんだろう?」っていうこの感覚、ひょっとすると「記憶の剥がれ」の初期症状じゃなかろうかという気がするんである。これがもう少し進むと、例えば東横線の渋谷駅や横浜駅で地上駅だった頃の乗換ルートを辿ろうとしたりして、そして「あー俺もボケた」などと言い始めて……ということになりはしないだろうか。

そしてまた、当の本人はきっと、ボケても幸せなんだろうなあとも思うことがある。映画「タイタニック」のラストシーン、おばあちゃんになった主人公のPOVで、乗船時の様子に戻って船内を走って行き、みんなが祝福する中でジャックの待つ階段の踊り場へと駆け込んで行く、ある意味ボケってのはあれが現実と区別付かなくなった状態かもしれないと、ふと思うんである。オフクロがドイツ語でアベマリアを歌ったという驚愕の話を入院先の医師から聞いたんだけど、きっとオフクロの頭の中は、俺が大学生だった頃も通り過ぎて、受洗して教会へ通ってた頃(第2バチカン公会議前だから背面ミサの時代)まで剥がれているんだろうか。いや、そのアベマリアを歌ったという話を聞いたのも10年くらい前だから、オフクロの頭の中は、戦前に養子に出される前の、実の両親と一緒に暮らしていた幼年時代まで戻ってるのかもしれないな。

もう一つ困ったことに、ちょっと前から俺自身が「俺に女房がいる」「俺に子供がいる」という事への違和感を感じ始めて、慣れる(薄まっていく)ならまだしも、それが齢を重ねるごとに段々大きくなってきている気がするのである。まさか、結婚したという記憶が剥がれて(!)女房子供に「どなたでしたっけ?」と言い出す、その前兆なのではあるまいか? 書いていても非常に怖いんだけれども……。

10年20年経って、ひょっとして俺も認知症にやられてたりしたら、このエントリを見てみんな何と言うだろう?
そんなことも考えちまう。



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集団的自衛権 その3

小学校の頃、対義語というものを学習したと思うが、「高い」の反対は? と言われて

「低い」
「安い」(笑)

ところが

「高くない」

と言って×を食らった経験がある方が結構いるんじゃないかと思う。語彙同士がぶつかるわけで、そこに否定形が入ってしまうとおかしくなるとか、ものの定義として否定形は使えないとか、そういう理屈をそこで習ったんじゃなかろうか。

で、改めて「平和」を考えてみる。
平和って何ですか? と聞かれて「戦争のない状態」という否定形構文で捉える場面の、何と多いこと。これを否定過剰と言うそうだが、つまりはそういうことだ。「否定形で定義しないの!」という小学校の国語レベルを云々するところから始めなきゃなんねえという、この議論の貧しさ。



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集団的自衛権 その2

集団的自衛権行使容認の賛成と反対ってのは、どうも横から見てみると、
日本の安全を優先する賛成派vs世界平和を優先する反対派
という構図に見えちまって仕方がない。つまり、安全と平和とどっちを優先するか、日本が安全であるために局地的にせよ平和を犠牲にするのか、それとも平和という大義名分のためには日本の安全が脅かされることがあっても黙っているという態度を貫くのか、そういう議論であるはずなのに、両方が憲法に基いた「平和」を論じてるつもりになっちゃってるから、話がややこしくなる。
そしてそう考えたら、こりゃ単純に「どっちかに決める」話なんであって、正しいとか正しくないとかの話じゃなくなるはずなんだが……。



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これを書かずに俺は死ねん 89 ある宿屋のこと

オヤジが丁度俺の中学生の時期に相当する3年間、山梨県山梨市(当時)へ単身赴任していた。一応職制だったもんだから、寮といったものではなく、世帯向けの社宅が一棟あてがわれていて、長い休みには、オヤジが東京に帰るのではなく、何日かオフクロと俺が山梨で過ごすということがあった。
これは後述する出来事との整合から、間違いなく昭和56(1981)年夏のことである。

夏休みに入り、山梨の社宅で宿題と格闘したりして過ごしていたある日、オヤジが「取引先の人が手配してくれた」と、諏訪湖の花火大会の桟敷席入場券を3枚持って来た。諏訪で夜行われる行事だから、山梨まででも帰って来るのは大変だろうというわけで、当日は現地で一泊だろうという算段で出掛けた。ところが、確かお昼頃に現地の案内所で数人の列に加わったら、前の人にもう今日はどこも満室ですよと案内している状態で、読みが甘かったか!と一家で途方に暮れていた。
その後のいきさつがよく思い出せない。明るいうちに諏訪大社上社の観光に向かったのだろうか、とにかく一旦山梨寄りの茅野駅まで移動したのである。茅野駅の、どちらかと言うと裏口然とした駅西側を歩いていたら、ちょっと古ぼけた宿屋があった。すかさずオヤジが玄関を開けて「ごめんくださーい」。出て来た女将さんに空室の有無を聞いたところ「ええ、空いてますよ」とのこと。ありがたい! というわけで、確か荷物だけお願いして、この時は部屋へ入らずそのまままた出発したように記憶する。
その後上諏訪駅まで移動したんだけど、確かこの時に一駅乗ったのが、飯田線の間合い運用と思われる80系だった。当時既に旧型国電は東京辺りでは珍しく、また身延線も115系への置換の最中で(この時点で80系は身延線にはいなかったが)、俺とオヤジは「これがまだ走ってんの!?」とキャーキャー、オフクロが「そんなに珍しいの?」。
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諏訪湖のほとりの桟敷席で見上げるようにして花火大会を見物。また中央線を一駅乗って、茅野駅へ戻って来た。宿では夕飯が出ないことになっていたため、とりあえず並びの料理屋で遅い夕飯にありついた。宿へ入ってみたら、布団も今で言うセルフの和室で、浴場は家庭用の風呂場の大きさだった。メリヤスの垢すりが「見本」として置いてあって、良かったらこの宿でも購入できますという説明書きがあったんだが、こんな物をここで使ってみて気に入って買う人がいるのかなあと思ったのを覚えている。あと、部屋には当時でもすでに相当古かった、1970年頃の少年サンデーだか少年マガジンだかが1冊置いてあった。オヤジが「木賃宿」と言っていたが、商売のために旅をする人たちが使う「商人宿」といったものだったのだろう。今にして思うと、後にいくつか見た「男はつらいよ」シリーズで、寅さんが泊っている宿屋のイメージと重なっている。
翌朝食堂で朝食をいただいていたら、オヤジが「このお味噌汁おいしいけど、お味噌はどこのなんだろう?」女将さん「自家製なんですよ」「えー! もしよかったら、少し分けていただけませんか?」食い物で商売していたオヤジがそこまで言う味噌だったが、女将さんは「若い人にはあまり評判良くないんですけどねえ」と笑いながら、ビニール袋を二重にして持って帰れるようにこさえてくれたっけ。
この食事の時、「アラ」という商品名の海苔の佃煮を見た。ローカルだと思ってたけど、関西を中心に出回ってるメーカー物だと後で知った。

味噌のお礼を言って出発して、この日は確か下諏訪駅へ向かい、諏訪大社の下社から万治石仏などを見物、弘済出版(当時)の名著『あずさの旅』で読んで気になっていた「初霜」というお菓子も調達できた。夕方だか夜だか、とにかく一家で山梨へ戻り、翌日からは俺もまた受験勉強に戻った。

実はこの旅に出発する数日前、忘れもしない8月14日夜のNHKニュースで、カール・ベームの訃報を聞いたのである。ベームの誕生日は8月28日だから、ウィーンフィル気付でバースデーカードを贈るんだとかバカなことを考えて(カードを既に買って)いたもんだから、もう泣きそうなくらいだった。俺自身はよく覚えてないんだが、後にオフクロが「あん時ゃ心配したわ」と言っていたほど。それで、東京の自宅で取っていたのは毎日新聞だったのだけれども、この旅の途中、茅野で夕飯を食った店に朝日新聞が置いてあり、訃報記事が社会面にでっかくあったもんだから、
……こっそり切り取って持って来ちゃったんです。はい。だから間違いなく1981年の8月と思い出せるわけ。ごめんなさい。


次に茅野駅を通ったのは昭和58(1983)年、飯田線を夜行日帰りで乗ってやろうという旅の時。
その次が大学に入った昭和60(1985)年の夏、高校の合宿にOBとして参加した時で、現役の連中とは別行動で長野まで青春18きっぷを使ってまた夜行で向かった時のこと。どちらの旅でも、茅野駅の西側にあの宿を見たように思う。
その後、昭和61(1986)年に茅野駅が橋上駅舎となり、西口には広場やバスターミナルが整備されて随分と様変わりしている。自家製味噌が美味しかった件の宿はどの辺にあったのか、新聞切って持って来ちゃった料理屋もどこにあったのか、最早分からなくなった。

カール・ベームの120回目の誕生日に合わせてアップ……のはずが日付変わって間に合わなかったけど。
ベームと夏の思い出。

<2016.4.11追記>
オヤジもやっぱり俺と同じところに目を付けてたらしい。いや、俺がオヤジと同じところに目を付けてるのか。
こういう宿は外観を撮っておこうと思ったらしく、アルバムにこんな写真が残っていた。
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この写真のおかげで、宿の名前は「幸楽荘」だったと判明。
1枚目中央(2枚目奥)に写っているヤジマというスポーツ用品店が2016年4月現在、盛業中である(4月4日に茅野駅を通った際に確認した)。ということはその2軒手前にあったはず。

上のストリートビューを操作して、左側を見ていただければ。

茅野駅の西側の、そんな想い出。



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集団的自衛権

法律というのは実は一般人が思ってるほど厳格なものじゃない、という話がある。ホントにこと細かく規定されてれば、施行すればいいだけの話であって、裁判はその不履行を云々するだけになるはずだから。
で、あまりいい例えではないんだが、法規の構造ってのは大概こうなってる。

法律:〇〇の内容については、政令でこれを定める
政令:法X条にいう「〇〇」とは、△△の値がおおむね百であることをいう
通達:令Y条にいう「おおむね百」とは、九十七以上一〇三未満をいう

というわけでお役所に「九十五」のものを持ってっても「通達で九十七以上とされてますんで」とハネられる。「学者になりたきゃ法学が分からんと話にならんが、法律家になりたいなら通達勉強しろ」とよく言われる所以である。相続税法なんて税法自体より財産評価基本通達に規定する土地や株式の評価の仕方が分からなかったら0点だもんな。

もうお分かりだろう。
憲法にゃ「憲法何条にいう『平和』とは~」っていう憲法施行令も、「施行令何条何項に規定する『自衛権』は集団的自衛権を含むものとする」てな憲法施行基本通達もねえからゴタゴタが起きるんだろ。




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